パラノルディックスキーの新田佳浩(にったよしひろ)選手がミラノ・コルティナ2026冬季パラリンピックに出場します。
1998年長野大会から8大会連続出場となり、今回も活躍が大いに期待されます。
ということで、新田佳浩選手の両親(父母)兄弟姉妹や祖父母、結婚した妻や子供、学歴や出身校(中学高校大学)についてご紹介します。
新田佳浩のプロフィールや経歴
新田佳浩(にったよしひろ)選手のプロフィールや経歴についてご紹介します。
基本プロフィール
新田佳浩(にった よしひろ)選手は、1980年6月8日生まれ、岡山県西粟倉村出身のパラノルディックスキー選手です。
現在は日立ソリューションズ「チームAURORA(アウローラ)」スキー部に所属し、クロスカントリースキーとバイアスロンの両種目で活躍しています。
パラリンピックには1998年長野大会から8大会連続出場という驚異的な記録を持ち、まさに「生きた化石」「レジェンド」と呼ぶにふさわしい選手なんです!
3歳での事故と運命を変えた出来事
新田選手の人生を語る上で避けて通れないのが、3歳の時の事故です。
田んぼで遊んでいた時、祖父が運転するコンバイン(収穫機)に巻き込まれ、左腕の肘から先を切断するという大事故に遭いました。
幼い子どもに起きた悲劇……両親や家族の悲しみは計り知れないものだったでしょう。
でも、ここからが新田選手のすごいところなんです!
抜群の運動能力とスキーとの出会い
事故後も新田選手は、抜群の運動能力を発揮し、子どもの頃からスポーツ万能だったそうです。
4歳からスキーを始め、小学3年生からはクロスカントリースキーに本格的に取り組むようになりました。
なんと健常者のスキー大会にも出場するほどの実力をつけていったんです!
左腕がないことをハンディキャップと感じさせない、その前向きな姿勢と努力が素晴らしいですよね。
パラリンピックでの輝かしい実績
新田選手のパラリンピックでの活躍は、まさに圧巻の一言です。
1998年長野パラリンピックで初出場を果たしてから、ソルトレークシティー、トリノ、バンクーバー、ソチ、平昌、北京、ミラノと8大会連続出場を果たしています。
2002年ソルトレークシティー大会では初のメダルとなる銅メダルを獲得。
そして2010年バンクーバー大会では、10kmクラシカルと1kmスプリントで2つの金メダルを獲得する快挙を成し遂げました!
2018年平昌パラリンピックでは銀メダルを獲得し、通算で金3つ、銀1つ、銅1つという素晴らしい成績を残しています。
クラシカル走法が得意な技術派
新田選手の強みは、クラシカル走法が得意なこと。
LW8クラス(立位)に分類され、左腕がないというハンディキャップを感じさせないバランス感覚と技術で、世界のトップと戦い続けています。
日立ソリューションズではマーケティング戦略部に所属しながら、競技活動を続けているんですよ。
新田佳浩の家族構成|祖父母と両親、姉妹との7人家族
新田佳浩(にったよしひろ)選手の両親(父母)兄弟姉妹や祖父母についてご紹介します。
温かい7人家族で育った幼少期
新田選手は、両親と5歳上の姉、1歳下の妹、祖父母の7人家族で育ちました。

父の茂さんと母の多恵子さん
両親は共働きだったため、幼い頃は祖父母が面倒を見てくれたそうです。
大家族の中で、愛情をたっぷり受けて育った新田少年。
この家族の絆が、後の困難を乗り越える力になったんでしょうね。
祖父との特別な絆
3歳の時の事故は、祖父が運転するコンバインでの事故でした。
祖父の心の痛みは想像を絶するものだったでしょう。
しかし新田選手は、祖父を恨むどころか、「祖父に金メダルを見せたい」という強い思いを持ち続けました。
インタビューでは「左腕を切って孫に付けてほしい」と祖父が言ったというエピソードも語られています。
事故という悲劇を、家族全員で乗り越えていったんですね。
祖母
祖母は「佳浩は人の2倍も3倍も努力をせんといけん。」そして「工夫をすれば何でもできるんじゃけん、諦めちゃいけん。」といつも言ってくれていたそうです。
2009年12月16日に亡くなりましたが、新田佳浩選手は祖母の墓前で手を合わしたときにそんなことが思い出されて涙してしまったとのことです。

両親の深い愛情
新田選手はインタビューで、両親について語っています。
「両親が息子にケガをさせてしまったことに対してどう思ったか」という質問に対して、両親の深い愛情と葛藤を語っていました。
しかし両親は、事故のことで新田選手を特別扱いせず、むしろ「あるものを最大限活かす」という考え方で育ててくれたそうです。
この教育方針が、新田選手の前向きな性格を形作ったんでしょうね。
姉妹との絆
5歳上の姉と1歳下の妹との3人きょうだい。
詳しい情報は公表されていませんが、きっと兄弟仲良く育ったんでしょう。
大家族の中で育った経験が、新田選手の人間性を豊かにしたことは間違いありません。
新田佳浩の結婚と家族|美人の奥さんと2人の子供
新田佳浩(にったよしひろ)選手の結婚した妻や子供についてご紹介します。
結婚と家庭生活
新田選手は結婚されていて、美人の奥さんと2人のお子さんがいることが報道されています。

妻は知紗子さんという方で詳しい結婚時期やプロフィールは公表されていませんが、家族で幸せに暮らしているようです。
パラリンピックに挑戦し続ける夫を支える奥さんの存在は、きっと大きな力になっているんでしょうね。
父親としての新田選手
長男の大翔くんと次男の健翔くん2人の子供の父親として、家庭と競技の両立をしている新田選手。
「自分のことは6割」という言葉からも、家族や後進の育成に力を注いでいることが分かります。
子供たちにとって、パラリンピックで活躍する父親の姿は、きっと誇りでしょうね!
「このメダルを見て、競技を始めてくれたら」という思いも語っていて、父親としての優しさが感じられます。
家族が支える競技生活
7大会連続出場という長い競技人生を支えてきたのは、間違いなく家族の存在です。
遠征や練習で家を空けることも多い中、奥さんやお子さんたちが温かく見守ってくれているからこそ、新田選手は戦い続けられるんですね。
新田佳浩の学歴と出身校|筑波大学で磨いた技術
新田佳浩(にったよしひろ)選手の学歴や出身校(中学高校大学)についてご紹介します。
地元・岡山での学生生活
新田選手の出身校について、詳しい小学校・中学校の情報は公表されていませんが、岡山県西粟倉村の地元の学校で育ったと思われます。
小学3年生からクロスカントリースキーを始め、地元の先生がクロスカントリーをやっていた方だったことが、競技を始めるきっかけになったそうです。
この出会いがなければ、今の新田選手はいなかったかもしれませんね!
林野高校時代
高校は岡山県立林野高等学校に進学しました。
この高校時代にも、クロスカントリースキーの練習を続け、実力をメキメキとつけていったんです。
健常者の大会にも出場するなど、ハンディキャップを感じさせない活躍ぶりだったそうです。
筑波大学で本格的なアスリートへ
高校卒業後は、筑波大学体育専門学群に進学しました。
スポーツの名門・筑波大学で、新田選手はさらに技術と体力を磨き上げました。
大学3年生だった2002年には、2度目のパラリンピック・ソルトレークシティー大会に出場し、見事銅メダルを獲得!
大学での学びと練習が、トップアスリートへの道を開いてくれたんですね。
「あるものを最大限活かす」という哲学
新田選手は筑波大学での経験を通じて、「左手がないと諦めず、あるものを最大限活かす」という哲学を確立しました。
これは競技だけでなく、人生全体に通じる素晴らしい考え方ですよね。
学歴は大卒で、筑波大学で学んだスポーツ科学の知識も、長い競技人生を支える力になっているんでしょう。
まとめ
新田佳浩選手は、1980年6月8日生まれ、岡山県西粟倉村出身のパラノルディックスキー選手です。
3歳の時に祖父が運転するコンバインで左腕肘下を切断するという事故に遭いましたが、4歳からスキーを始め、小学3年生からクロスカントリースキーに取り組みました。
1998年長野パラリンピックから7大会連続出場という偉業を達成し、金3つ、銀1つ、銅1つの計5個のメダルを獲得しています。
そして、今回のミラノで8大会連続の出場となりました。
家族構成は、両親と5歳上の姉、1歳下の妹、祖父母の7人家族で育ち、現在は結婚して美人の奥さんと2人の子供がいます。
学歴は岡山県立林野高等学校から筑波大学体育専門学群を卒業し、現在は日立ソリューションズのマーケティング戦略部に所属しながら競技活動を続けています。
「自分のことは6割」と語り、後進の育成にも力を注いでいる新田選手。
「あるものを最大限活かす」という哲学のもと、努力の先にあった気づきを原動力に戦い続けるレジェンドの姿は、多くの人に勇気と希望を与え続けています。
これからも新田佳浩選手の活躍から目が離せませんね!
ということで、新田佳浩選手の両親(父母)兄弟姉妹や祖父母、結婚した妻や子供、学歴や出身校(中学高校大学)についてご紹介しました。