有安諒平

有安諒平の結婚した妻や子供は?両親(父母)兄弟・学歴や出身校も

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パラアスリートの有安諒平(ありやすりょうへい)選手が2026年ミラノ・コルティナパラリンピックに出場します。

複数の競技をこなすマルチアスリートでもあり、パラリンピックでの活躍が注目されています。

ということで、有安諒平選手の結婚した妻や子供は?両親(父母)や兄弟姉妹、学歴や出身校(中学高校大学)についてご紹介します。

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有安諒平とは?プロフィール・経歴を徹底解説

有安諒平(ありやす りょうへい)選手は、夏季と冬季パラリンピックの両方に出場した、日本を代表するパラアスリートです。1987年2月2日、アメリカ・カリフォルニア州サンフランシスコで生まれ、5歳で日本に帰国しました。現在39歳で、東急イーライフデザインに所属しながら、杏林大学医学研究科博士課程で研究にも取り組んでいます。

彼を語る上で欠かせないのが、複数の競技をこなすマルチアスリートという点です。パラ柔道から始まり、29歳でパラローイング(ボート)、32歳でパラクロスカントリースキーに転向。2021年の東京パラリンピックにはローイングで、2022年の北京パラリンピックにはクロスカントリースキーで出場しました。夏冬連続のパラリンピック出場は、本当に驚異的ですよね!

視覚障がいと向き合いながらの挑戦

有安選手は15歳のとき、自由学園中等科3年生のときに黄斑ジストロフィーという病気の診断を受け、視覚障がい者となりました。中学生で障害者手帳が交付されるって、本人にとってどれほどショックだったか想像もできません。

思春期は障害を受け入れられず、特に球技からは距離を置いていたそうです。バイクの免許の話で友達が盛り上がっているときも、法的に免許が取れない自分の立場に「社会の側から障害を突きつけられた」と感じたといいます。でも、ふさぎこんでも仕方ないと、楽しいことに目を向けるようにしたんですね。

筑波技術大学に進学してからは、同じ視覚障がいを持つ仲間に初めて出会い、共通の理解がある環境でとても楽になったそうです。そこで友人に誘われて始めたのが視覚障がい者柔道。6~7年続けて強化指定選手にまで選ばれましたが、なかなか代表にはなれませんでした。

パラローイングとの出会い、そして北京へ

東京パラリンピック開催が決まり「どうしても出場したい」と思った有安選手。2016年に東京都の「パラ選手発掘プログラム」に参加し、ボート協会に声をかけてもらったのがパラローイングとの出会いでした。

マシンで一人で訓練ができ、一定水準になったら代表のチャンスがあると聞いて、これはいいと思ったそうです。大学のボート部にマシンを借り、夜な夜な訓練を続けた結果、最初の半年で育成指定選手、その後強化指定選手に。そして2021年、東京パラリンピックのローイング混合舵手つきフォアで12位という成績を収めました。

驚くのはここからです。ボートのトレーニングのために始めたクロスカントリースキーで、なんと競技歴わずか3年で北京パラリンピックに出場してしまったんです!東京パラの選手村を退村した次の日から、閉会式も見られないくらいギチギチに練習して、最終予選の最後のレースでギリギリ標準タイムを切って出場権を獲得。北京パラでは男子20kmクラシカルで7位入賞を果たしました。

現在はパラクロスカントリースキー選手会長も務めており、2026年ミラノ・コルティナ、2030年大会での表彰台を目指して日々トレーニングに励んでいます。

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有安諒平の両親(父・母)兄弟姉妹について

有安選手の家族構成について、詳細な情報はあまり公開されていませんが、彼のキャリアを支えてきた家族の存在は大きいようです。アメリカで生まれ、5歳で日本に帰国したという経歴から、国際的な背景を持つ家庭で育ったことが伺えます。

インタビューでは、高校時代には那須農場に入り浸っていたというエピソードが語られています。牛の世話をしたり炭を焼いたり、自然とたわむれる時間が楽しかったそうです。視力障害があっても関係なく楽しめる環境で、家族や学校が彼をサポートしていたことがわかりますね。

自由学園での学校行事でよくスキーに行っていたことからも、家族や学校がアクティブな活動を応援する環境だったことが想像できます。障害を持ちながらも、さまざまな体験をさせてくれた家族の存在が、今の有安選手を作り上げているんでしょう。

兄弟姉妹に関する具体的な情報は公開されていませんが、家族全体で有安選手のアスリート活動を温かく見守っている様子が伺えます。

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有安諒平の結婚した妻や子供は?

有安選手の私生活について、とても素敵なニュースがあります。彼は既婚者で、2022年1月に長女が誕生しています!北京パラリンピックの3カ月前という、まさに競技人生の最も忙しい時期に父親になったんですね。

娘さんの出産には立ち会ったそうで、「予定日より1カ月くらい早く生まれた」というエピソードも語っています。ちょうどスキーの合宿に行く前日の夜に産気づいて、当日の早朝に生まれたとのこと。右手にうちわ、左手にペットボトルを持って奥さんを励ましたそうです(笑)。

初めて抱っこしたときのことを「軽かったですし、小さかったです。でもすごく…なんていうか、愛おしかった」と語る有安選手。「親になる前は、子ども中心の生活って大変そうだなって思ってたんですよね。だけど実際に生活してみると、彼女を中心に回っていることに対するストレスを補って余りあるぐらいかわいくて」と、完全に親バカモードです(笑)。

育児とトレーニングの両立

新生児のときは、0時から朝5時まで粉ミルクで自分がお世話をして奥さんを休ませ、昼まで寝てからトレーニングに出かけるという生活を送っていたそうです。現在は奥さんが仕事に復帰し、有安選手も積極的に家事や育児をこなしています。

娘さんとは絵本を読むことが多く、毎回微妙に話が違ったり半分くらい創作になったりすることもあるとか(笑)。遠征中は毎日テレビ電話をつないで、なんとか顔を覚えてもらえるように話しかけているそうです。

「娘は今2歳。彼女の記憶に残るタイミングを考えて、2030年の冬季パラでメダルを獲りたいという思いが強くなりました」という言葉が印象的ですね。愛娘のためにメダルを獲るというモチベーションが、彼の原動力になっているんです。

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有安諒平の学歴・出身校(中学・高校・大学)

有安諒平選手の学歴は、非常にユニークで興味深いものがあります。アメリカで生まれ5歳で日本に帰国した後、自由学園中等科に入学しました。この学校は東京都東久留米市にある私立学校で、幼稚園から大学部まで一貫した教育を行っています。

中等科3年生のときに黄斑ジストロフィーの診断を受け、その後も自由学園で学び続けました。高等科時代には那須農場に入り浸って牛の世話をしたり炭を焼いたりと、自然と触れ合う時間を大切にしていたそうです。視覚障がいがあっても楽しめる環境が、彼の心を支えていたんでしょうね。

理学療法士を目指して筑波技術大学へ

自由学園の最高学部(大学相当)2年時に、筑波技術大学に転学しました。この大学は視覚障がい者と聴覚障がい者のための国立大学で、有安選手はここで理学療法士の資格を目指して学びました。

老人ホームにボランティアに行ったときに理学療法士に出会い、「自分もこれを仕事にしたい」と思って受験したそうです。クラスメイトは全員視覚障がい者で、初めて同じ障害を持つ仲間に会った環境。音声で読み上げてくれるパソコンや拡大読書器など便利な機器もあり、「共通の理解がある仲間がいる環境はとても楽だった」と語っています。

筑波技術大学卒業後は、筑波大学で医学工学連携の研究機関に進み、理学療法士として臨床経験を積みました。その後28歳で杏林大学医学研究科博士課程に入学し、現在も在籍中です。統合生理学教室の研究職としても働きながら、アスリート活動と研究の二刀流を続けています。

大学院生、研究職、パラアスリート、そして父親という四足のわらじを履く有安選手。「家族とか子どもとか研究とか、全部何もなければいいのにな」と思うこともあるそうですが、「最終的には奥さんと娘への愛おしい気持ちが上回る」と語っています。本当に素敵ですよね!

ということで、有安諒平(ありやすりょうへい)選手の結婚した妻や子供は?両親(父母)や兄弟姉妹、学歴や出身校(中学高校大学)についてご紹介しました。

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