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12の世界遺産

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目次

1 ラリベラ岩窟教会群

2 シミエン国立公園

1 ラリベラ岩窟教会群 文化遺産 1978年 トップへ

ラリベラは古都で、日本の京都、奈良と言っても良い。岩窟教会群の敷地を地図を頼りに歩いていると突然、聖ギョリギス教会が目に入ってくる。地面から上に教会が建つているのではなく、地面の下にくり抜かれた教会だから目前に来るまで見えない。突然目に入ってきた時はショックを受けたような驚きであった。今まで、寺院、教会は何度も目にしてきたが、全く予想が出来なかった造りだからである。日本では岩壁にくり抜かれた仏像を見ることはできる。世界には岩をくり抜いた住居や教会があるが、どれも水平方向にくり抜いた建造物である。ラリベラの岩窟教会群は、岩の地面を真下にくり抜き、教会の内部も他らか石を運んでつくったものではなく、くり抜いて完成させたものである。建造時代は12世紀以降で、道具はノミと槌だけの時代である。どれほど多くの人がどのような方法で建造したのか詳細は分からないという。ノミの跡もくっきりと残っており、触れると当時の人々の息遣いが聞こえてくる。教会群には11の聖堂が建造されており、現在もキリスト正教の僧侶が修行に励んでいる。建造時代は12世紀以降で、聖地エルサレム(イスラエル)がムスリムに占領された時、ラリベラ王が新たなエルサレムを、この地に建造しようと岩窟教会の建造が始まったといわれている。ラリベラの街をながれる川もヨルダン川と名づけられている。

教会群の入場料は、外国人は1000Birr(5000円)で、エチオピア人は1Birr(5円)である。金額の違いに驚くだけではなく、エチオピアの経済、観光収入にいかに依存しているかがわかる。教会群は堀や塀で囲まれているのではなく、エチオピアの人たちの住居が教会群の敷地につながり、自由に行き来ができラリベラ市民の一部になっている。チケットは高額であるが、1週間有効なので、時間があれば2回は見て回ると良い。観光客はそれほど歴史の事前学習をして訪れるのではないので、最初の驚きを過ぎると、岩の塊りを見ているだけで飽きてくるかもしれない。でも教会の中に入ると、エチオピア人がいたり、ガイドお供の白人の観光客がいるので、少し質問をするなどすると、知らないことの発見があり楽しくなる。

街並みを見てまわれば、古都といってもいかに貧しい暮らしをしているのかがわかる。街の人々が利用するブンナベット(コーヒー店)でインジェラを食べたり、コーヒーを飲んで土地の人と話をする機会を持ちたいものである。

2 シミエン国立公園 自然遺産 1978年 トップへ

エチオピア北部の高原地帯はアフリカの屋根といわれ、4000m級の高峰が8峰連立する。急峻な絶壁が連なるため固有種が生息し、シミエン国立公園は1978年に世界自然遺産に登録された。ツアーのベースキャンプは世界遺産のゴンダールである。入園手続きをする事務所には絶滅寸前のヒョウの剥製が展示してある。事務所の標高は2800m、公園入口まで30分、標高は3100mである。高原地帯は4000万年前の玄武岩質火山活動の隆起地帯で平坦である。日本の山間部の車道は川沿いなどの低地を、山の斜面を見上げながら登っていくが、シミエン国立公園では、標高3000m以上の平坦な高原を走り、途中の標高を聞くと3800mで富士山の山頂を車で走っていることに驚く。高原台地が風化浸食され、落差が1000m以上の急峻な崖を形成し、車はその崖の絶壁を見ながら登っていく。

ワリアアイベックス 角の大きいのがオスで小さいのがメスである。ヨーロッパ大陸のアイベックスの亜種で、アフリカとヨーロッパが陸続きであったことの証拠で、高山帯に隔離されて亜種になったと考えられている。一夫一妻で生涯を終える。エチオピアの農村では伝統的に一夫多妻制が存続しており、ガイドにエチオピア人より慎ましいと冗談を言うと苦笑いし同意した。

エチオピアにヒヒは3種生息しており、ゲラダヒヒ(ガイドはチロロバブーンという)は標高3000m以上に生息している。他の2種に追いやられて高地に適応した種である。草の根を掘り起こして食べている。

若いワリアイベックスとチロロバブーンが天敵から身を守るために共同生活している。天敵はヒョウなどの肉食動物である。ワリアは臭いに敏感で、ヒヒは目が良く、夜間は同じ穴で休む、ガイドから知られざる生態の説明を聞くことができた。

登頂日は午前3時30分起床、4時25分出発、ガイドの足は速く、エチオピア人のガイドは客の歩く速さを考慮せず足場の悪い斜面を自分のペースでどんどん登っていく。ツアー客は6人、ガイドは二人、ガードマン二人である。ガイドにペースを落としてもらう。三日月がくっきり夜空に浮かび、汗をふきながら登っていく。夜が明け白々としていき、夜明けを迎える。6時43分4200m、7時12分斜面がきつくなり、9時に山頂アタック前の休憩をとる。垂直に近い斜面をはいあがり、9時23分全員4543mのラスダシャンの山頂に立った。

人々の暮らし

富士山の山頂ほどの高さにもトラックが通れる道が整備され、物資が運ばれ、電柱も見かけ電気も通っている。山の斜面に木々はなく荒涼とした風景が広がる。森林限界を超える標高なのであろうか。斜面は一見裸地に見えるが、畑になっている。斜面崩壊を防ぐために石が並び、段々畑のようである。3000m以上ではテフは育たないので麦、オイルシード(フラックス)、豆類を栽培している。天水で肥料もなく生産量が低い。道路は山頂部に一本あるだけなので、村落から斜面を歩いて登るしかない。厳しい生活である。

4000万年の時が刻んだ4000mの台地で人々が暮らしている。まさに地の果てである。山の斜面から子供が駆け下りてくる。急斜面を滑り降りてくる様はまるでサーカスである。手には何かを持っている。私たちが観光客と見て手工芸品を売るために駆け下りてきたのである。さらに下からも駆け上がってくる。ここでも現金収入は大切である。

子どもたちからチャイナといわれ、中国の影響の大きさを知る。子供は裸足で、足の裏は靴底のように厚い。木々はユーカリの植林である。

定期的にトラックが走っているようで買い出し、収穫物の運搬に利用されている。ツアーには銃を持ったガイドが必ず同行する。誘拐から客を守るためである。現地のエチオピア人の誘拐もあるが、外国人の方がお金になるのでツアー客を狙う誘拐犯から守るためである。

エピソード

帰路、ゴンダールに戻る車を待っていたところ予定の時間になってもなかなか来ない。携帯の圏外でガイドも理由がよくわからないようだ。推測すれば車がパンクしたためであるという。ガイドが街にいくトラックにのり車の手配のために下山した。後でわかったことであるが、車がパンクしスペアタイヤが詰まれていないため、ゴンダールの町まで車を交換しに行ったことが分かった。ガイドで迎えの車に乗りかえ、私たちが待っている場所に到着したのは、日が暮れかかった時であった。本来ならばその時刻にはゴンダールに帰っている時間である。連絡がないままガイドが戻っていったので、私たちは山中で今日の宿泊がどうなるか不安になっていた。残った別のガイドが近くに宿泊場所があるといい、そこに宿泊することも考えたが、エチオピア人のいうことは当てにならないことは分かっていたので皆不安になった。ツアーの車がスペアタイヤを持っていないことは考えられないことであるが、エチオピアでは特別のことでもないようだ。このとき、私たちに同行していたコック、ポーターなどのエチオピア人は平然としていた。ホテルに戻り、ツアー会社としての責任を問うたが、パンクしたのだから仕方がないというだけで責任を感じている様子は全くない。エチオピアではこれが普通なのである。エチオピアは観光を国策としているが、観光客にサービスをするという考えは毛頭ない。お金の対価としてサービスし、お客扱いするという考えはない。悪意があってのことではないのでかえって始末が悪い。これはエチオピアを国内旅行しいつも感じることであった。2年間エチオピアに滞在し、自分の責任を認めて謝罪をするエチオピア人に出あったことはなかった。外国人を金づるにしか見ない悪癖がいろいろな場面で見られる。この国のことを知ると、この国の変化を期待できないことに皆うなずく。

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