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相互扶助の社会

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国民の80%は農業に従事し、貧しい暮らしをしています。中には家庭の事情で子供の養育が難しくなる家庭もあり、そのような時は余裕のある家庭が引き取って育てることが社会習慣のように根付いています。日本の里親制度のようなものですが、制度として確立されているわけではなく、広く人々の間で伝統的に理解されている相互扶助の社会習慣です。

私が住んでいた大学の官舎にはそのような家庭がありました。二人住まいの家庭があり、最初は姉妹と紹介されていましたが、姉が40歳過ぎ、妹は17歳で年の差が大きくとても姉妹には見えませんでした。コーヒーや食事に招待してくれ、親しくなるといろいろ話をしてくれるようになり、本当の姉妹でないことを話してくれました。妹は近くの街から両親の都合で育てられなくなり、引き取って二人で生活するようになったといます。姉は全盲でアセラ教員養成大学の英語の先生です。苦労して大学の教員の資格を取ったと思いますがそのようなことには触れません。17歳の妹は小学8年生(日本の中学二年生)です。特別な事情がなく義務教育を終わっていれば、エチオピアの高校1年生ですが、家庭の事情で学校に通えなく、今は姉と一緒に暮らして地元の小学校の8年生でした。妹は家事一斉何でもやります。洗濯、食事の準備などまるで主婦のように家事をこなしています。姉も一人で生活をしてきたので自分でできるのですが、妹は自分の立場をよく理解して、献身的というよりは当たり前のことのようにしています。妹は料理が上手く、インジェラは甘く、バイヤイネットはレストランで食べるよりも甘く優しい味がして、招待されるたびに楽しみにしていました。姉の言葉では、妹は一人でも生活ができるように実の母親が教育したそうです。エチオピアの公立学校は平日でも半日なので、時間があれば姉を大学の姉のオフィスまで送り迎えをしています。私は、視覚特別支援学校(盲学校)に勤務したことがあるので介護をしながら送り迎えをしている様子には、心優しく素晴らしい子だと心底感心して心を打たれました。

別の家庭では親子三人の二人姉妹の家庭があり、歳は1歳違いですが、姉はセカンダリースクルールの最終学年(日本の高校1年)で妹は小学2年生でした。顔も似ていなく本当の姉妹ではないことは分かりました。妹は家事をよくこなし食事の準備をいつもしていました。また、姉妹でよく薪割りやダボ(エチオピア独特のパン)を作っていました。ある時母親が、妹は遠い所から送られてきた、と教えてくれました。家庭の事情で養育ができなくなったためです。これまでは、ほとんど学校に通っておらず、引き取ってようやく学校に通えるようになりました。自分の立場を良く理解して家事に勉学に励んでいます。

このような家庭はエチオピアでは特別なことではなく、親戚の子の面倒を見ている家庭が多いことが分かってきました。養育親は子供に意欲があれば大学まで面倒を見ると言っています。中には問題行動をする子供もいて、そのような場合は戻されるとも聞きました。これはやむを得ないことなのでしょう。エチオピアでは他人同士が家族のような関係で暮らしている家庭が本当に多くあります。そのつながりは緩やかで事情があれば簡単に離れることもできるようです。大学の官舎での1年間の生活でも、家族のメンバーが急にいなくなったり、新しい人が入ってきたりしたのを見ました。エチオピアは相互扶助の社会です。それぞれの都合に合わせて緩やかなつながりで助け合って暮らしています。日本の大家族、核家族という概念とは全く異なる家族の仕組みが成り立っています。しかし、アジスのような大都会ではこのような伝統的な暮らしが続いているかどうかはわかりません。

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