政治家主催の資金集めのパーティで白紙領収書の発行が国会での質問で明らかになった。指摘を受けたのは稲田防衛大臣、菅官房長官で、二人とも政治資金規正法上は問題ないと釈明し、謝罪はせず、今後はしないとも言わなかった。これに対し高市政務会長も同様な見解で、今後の対策としては各政党で適切に対応するのが望ましいと言いうだけで、二人を批判することもなかった。同じ穴の貉(むじな)である。まるで赤信号を皆で渡っているようなものだ。領収書が必要なのは、パーティへの参加費を公金(税金)から支出しているからであり、白紙の領収書の発行は、水増し金額の記入など、どのようにも悪用ができるからだ。言い訳の理由として、受付での領収書の発行は混雑してできないというが、主催者側がその日のうちに領収書の準備をし、パーティ終了までに渡せば済むことである。領収書を発行するのは主催者の当然の義務であり、支払い側も当然要求しなければならない。そうしないのは、双方のなれ合いの中で生まれた悪しき習慣である。パーティの開催は、政治家の資金集めの一つであり、国民の税金がこのようないい加減な形で議員から議員へ渡っていく、まるで使いまわしのようになっていることにも腹立たしくなる。二階幹事長が禁止令を出したが、強制力はないという。強制しなければ直らないようでは話にならない。元都知事の舛添氏は法律上の問題で辞職をしたのではなく、公金の使い方の倫理上の問題で辞職したのであった。今回も同質の問題ではないか。白紙領収書は与野党ともにあるという。政治家は小さなことには気をとめず、大きなことに取り組むのが重要だと言うが、問題に大小の区別はない。悪いことを素直に認め、正すという姿勢が見えない政治家を支持する気持ちにはなれない、地方議員、国会議員問わずである。人は信頼を失うのは早いが、信頼を取り戻すには時間がかかる。子供たちに説明ができないことはすべきではない。