判決は「津波が到達するおよそ7分前までに、市の広報車が避難を呼びかけたのを教員らが効いた時点で、津波が到達する危険を予測できた」とし14億円の賠償を支払うように命じた。石巻市長の亀山氏は「教職員が小学校に大規模な津波が来ることを予見することは不可能であったと認識している。およそ7分で裏山に無事避難できたとは考えられない」、村井知事は「教員はあの時点でベストの選択であったと思う。一方的に非があるとは思われない。控訴審ではそのあたりの主張を聞いて判断して欲しい」とコメントし、県も控訴することを決めた。
判決の要点は、津波襲来の予見ができたかどうかであり、判決は、予見はできたというものであるが、あれほどの高さの津波が来ることを予見できかと問われれば、確信をもって予見できたとは言えないであろう。しかし、予見ができなかったから、海に向かう橋に避難誘導したのは間違いはなかった、というとそれはちがうと思う。仮に、学校周囲が平地で橋以上の高い建物、高台がなく、橋が最も高い場所であったのなら、橋以外に選択の余地はなく教員の責任は問われることはないと思われるが、学校には裏山があり、「津波避難は海から離れた高い場所に逃げるのが鉄則である」ことを守らなかった誤った判断であったと言わざるを得ない。津波が学校まで押し寄せるかどうかではなく、津波浸水域に指定されていない、ではなく、避難誘導は、海から離れた高い場所に逃げるのが鉄則である。たとえ途中で怪我をするようなことがあっても、高い場所へ避難すべきである。
校庭に待機していた50分間もの間にどのような話し合いがなされて、なぜ橋への避難を決めたのか、なぜ裏山に避難しなかったのか、遺族側をその解明を望んでいるのであり、裁判でそれが解明されることはなかった。裏山への避難は土砂崩れの危険があり、避難地に選ばなかったというが、待機していた50分間に裏山が地震動で危険な状態になっているかどうか確認する時間は充分にあった。その確認は行われていたのかどうか。ある高学年の児童は校庭に待機している間に「このままでは危ない」と判断し、自分で裏山に避難しており、それを教員が校庭に連れ戻すことも起きていたのである。この児童はまさに「津波てんでんこ」を実践し自分の命を自分で守ろうとしたのである。連れ戻しにより助かる命も失われたと言わざるを得ない。日ごろの学習、シイタケ栽培などで児童、教員は裏山に登っており、山への道は熟知しており、児童を連れ戻しに行ったことからも、その時、裏山は決して避難に危険な状態ではなかったことが確認できていたのではないか。もし、教員の一人でも「裏山に逃げろ」と叫んで駆け出していたら、それに誘導されて児童は助かったに違いない。これは終わってからは何でも言えるということではなく、「津波避難は海から離れた高い場所に逃げるのが鉄則である」ことを守らなかった誤った判断であったと言わざるを得ない。教頭の判断を仰ぎ、教頭は判断できなかったというが、このような子供たちの命に関わる緊急の場合にも、上司の判断に頼らなければ決定ができないのか。日頃の学校組織の意思決定の硬直性が災いした面もあるのではないか。
重要な点は、学校が平時に津波襲来時の避難場所を決めていなかったことである。津波避難はその時に津波の高さを予見して、その時に避難先を決めるような余裕はなく、真っ先にすでに決められている避難場所に避難するもので、日ごろの避難訓練でそれを実践していなければならない。99.8%の児童生徒の命が救われた釜石の奇跡は、真にこれが実践されたのである。大川小学校は、避難先を高台としていただけで、具体的にどこに避難するか決めていなかった、だから50分もの間相談していたのであろう。避難先を平時に決めていなかったことが学校の防災対策の欠陥であり、その点からは学校、指導的立場にある教育委員会に責任があることを厳しく指摘すべきである。
被災後に市は生存した児童、教員から避難時の状況について聞きとり調査をしているが、その時のメモを廃棄していた。聞き取り調査は50分間に何があったのか、それを検証するのに重要な原本とも言える資料で、これを破棄したのは、公平な裁判に支障をきたし、市にとって都合の悪い証言を破棄したと言われても仕方がない。まるで証拠隠滅のような行為で、言語道断である。このようなことを平然と行う行政の姿勢は厳しく批判されなければならない。裁判ではこれを問題視することはなかったのか。
控訴審で、判決が「想定外の津波襲来が予見できたかどうか」に絞られれば、「想定外で予見が不可能で教員に過失はない」と判断される可能性はある。想定とは、計画や企画、対策を立てる際の根拠となる条件を予め決め、結果の予想を立てることであり、ハザードマップは一定の条件の下に描かれたものであり、その条件を超えた災害が起きることを予想した避難対策、訓練も必要である。自然現象は想定外の被災をもたらすことは津波に限らず、台風、集中豪雨などの被害でも経験していることであり、「想定外」を対応できなかったことへの理由の説明には使うべきではない。もし、想定外であったから予見は不可能で、橋への避難に過失はなかったとすれば、今後も「想定が安全神話」になりかねない。