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ボランティア活動とは何か

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ボランティアの役割は小学校の先生方に実験の紹介、技術指導を行い、教師の実験への意識を高め、授業で実験を導入することにある。それが現在のエチオピアに必要な授業改善である。科学セミナーで技術を身に付けても小学校に実験器具や試薬がなくては、授業で実験を行うことはできない。アセラ教員養成大学から借用することも一つの方法であるが、小学校に常備しておくことが最も肝心なことである。それがなぜできないのか。その理由を明らかにする必要がある。

1学校に実験教材を購入するための予算はあるか

先生方に話を聞くと学校には予算がある。決して充分な額ではないが予算がないわけではない。

2なぜ予算を教材の購入に当てないのか

予算で理科に関わらず授業に必要な物品を購入するという考え方がそもそも無いようである。学校によっては敷地に先生方がお茶を楽しむ小屋(東屋のようなシャイベット)を建てたり、年度末に牛などの家畜を購入している。予算をどのように学校教育のために使うのか校長の考えがなく、先生方の間でも話し合いがなされていないようである。

3予算を執行する仕組みがない

日本であれば行政(教育委員会)が学校の予算配分を決め、学校では学年、分掌、教科などが予算請求をし、状況に応じて予算配分をする。現場の教員にとって予算請求は当然の権利であり、執行されれば責任をもって使用する。この当たり前の仕組みがエチオピアでは機能していない。エチオピアは25年後には中所得国入りを目標にし、そのために技術力をあげ工業化を推進しようとし、その基盤づくりとして理科教育の向上を国の指針としている。現場の先生方もこのことを理解はしている。工業化のためには理科の実験の充実を教育方針としているが、学校現場ではそのための具体的な方策がない。校長にはリーダーとしての意識は見られず、教育事務所にもそれを指導する方針は持っていない。現場の変革は全くといっていいほど期待できない。なぜか。

 

 

 

4先進国への依存体質

アセラ教員養成大学にある備品は寄贈されたものだと説明された。学校の予算で購入されたものではない。必要な物品は外国からの援助によるという考えが根強く、先進国からは物品の提供を受けることは、まるで当然のことのように考えている。政府の予算の3割が海外援助からのものである。個人から組織、国までもが無償援助を当たり前としているので依存体質が根付き、予算の使い方を工夫する考えが生まれない。

5民主主義を経験していない

エチオピアは紀元前1000年ごろアクスム王国建国以来、1974年に軍のクーデターにより皇帝が廃位されるまで皇帝が権力を握ってきた。1974年に社会主義国家(メンギス政権)になり、旧ソ連の支援を受け、一党独裁国家となり数万人から数十万人が粛清されたと言われている。1980年の大干ばつがあり、食料不足になり内戦が激化し、1991年に反政府軍勢力により倒された。1995年にエチオピア民主連邦共和国が発足し、国民の支持、期待は大きく、西側諸国から支援を受け経済発展をめざした。連邦制で州の独自性を認め、複数政党制ではあるが、2000年の国政選挙では与党の議席は80%以上を占め、2005年の国政選挙の後には、選挙結果に不安を持つ反政府デモの鎮圧で200名が死亡した。事実上の一党独裁政治体制で国民の表現の自由は抑圧され、反政府活動は弾圧されている。2015年の国政選挙の結果はオール与党で占められた。2015年11月に反政府デモを軍が武力で鎮圧し200名が死亡し、これ以来、反政府デモが続発し、軍の鎮圧により多くの市民が死亡している。国内が不安定になり、エチオピア政府は2016年10年に非常事態宣言を発動し、海外からの支援活動も一時停止状態になっている(2017年3月現在)。エチオピアはヒューマンライト・ウオッチによると独裁国家にランクされている。

 このようにエチオピアは民主主義社会を経験してない。トップダウンの仕組みが社会に根付き、教育現場で予算を教師の要求を反映させて使うという、日本では教師の権利として保障されていることが、エチオピアには見られない。現場の教師の不満の声を聴くことがあるが、下位が上位を批判することは禁句のようである。現場の教師も現状を自ら改善しようとする意識は低いと言わざるを得ない。これは教育現場だけでなく、人々のさまざまな日常生活で見られることである。明日は昨日のままで良い、という風潮が強いように思えてならない。今日のんびりとした生活も良いとは思うが、職場で目的意識を持った改善が望まれる。

6内発的民主化

現在のエチオピアの独裁政権では政治力による民主化は期待できない。国民が民主的な活動を行い改善していくことを内発的民主化と呼ぶことにする。内発的民主化とは以下のように言われる。

①既存の社会構造からの自立、自律

②利己主義を排し、他者との連携

③地域社会の利益につながる

④基本的人権を求め、自ら責任を負い、地域社会の継続的発展

エチオピアの教師の活動が内発的民主化にどのように関わることができるのか。教師たちが学校の予算を話し合いにより決めていくことは、既存のものを言わない教師からの自立である。授業改善のために教師が連携し生徒のために予算請求し、必要な物品を充実させていくことは是非必要なことである。これを教育事務所が理解し、教育事務所は学校への働きかけを行い、校長が理解すれば、現場の教師と校長、行政(教育事務所)が協力する仕組みができるはずである。現状はこのような仕組みはない。これはアセラ全体の理科教育の向上につながり、エチオピアの教育モデルにもなり得る。教師がものを言うのは基本的人権の保障であり、教師自身も主張に対しては責任を負い、アセラという地域社会の継続的発展にも貢献することが期待できる。

7現政権の問題と援助国の在り方

エチオピアはトップダウンの社会で、非常事態宣言が出されている現在(2016年19月~)内発的民主化は絵空事のようにも思える。1991年に政権を握ったのは少数民族で、それ以降少数民族が多数民族を支配するという構図ができ、現在の経済発展の成功は、一部の都会の政権よりの人々への果実であることを国民はこれを良く知っており、それに対する多数民族の反発がデモという行動に現われたのである。このままでは底辺の人々の暮らしがよくなるという経済発展は望めない。このような政治状況から脱却するのはエチオピアの人々の力しかなく、第三者ではどうすることもできないかもしれない。支援をしている援助国はエチオピアの民主化に何も関わることはできないのか。国民の税金を使いODAで支援をしている。ODA大綱には「被援助国の基本的人権には注視するとある」これは、被援助国が弾圧的な政治を行うような場合には、援助を一時停止するなどの措置をとり、被援助国の政府に対して統治の在り方に「物を申す」ということでもある。文言になってはいても日本の政府は「内政不干渉」で静観しているのが実態である。援助案件が一時中止に追い込まれるという政情不安定な状況においても、日本は援助国として現在のエチオピアに何も言えないのか。このようなことが日本国民に知られていないことも問題である。

 

 

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